畝尾坐健土安(うねおにますたけはにやす)神社
奈良県橿原市下八釣町にある神社。天香久山北西麓、畝尾多本神社北鈴に鎮座。 祭神は健土安比賣神(たけはにやすひめのかみ)・天児屋根命(あめのこやね)。
近世に天照大神社と称したが、「延喜式」神名帳十市郡の「畝尾坐健土安神社大、月次新嘗」に比定(大和志)。旧村社。
畝尾の訓について、「延喜式」金剛寺本はウネヒ、九条家本はウネヲとし、十市郡には畝尾都多本神社の名もみえる。「古事記」神代巻の「香山も畝尾の木の本」はウネヲと読むのが定説になっており、式内社の場合は香山のうねりをもった山の尾に鎮座する神と解釈されている。
畝尾坐健土安神社は「日本書紀」神武天皇即位前紀己未年二月二〇日条に「天皇、前年の秋九月を以て、潜に天香山の埴土を取りて、八十の平?を造りて、躬自ら斎戒して諸神を祭りたまふ。遂に区宇を安定むること得たまふ。故、土を取りし所を号けて、埴土と白ふ」とみえる埴安に鎮座した土霊とされる。
天平二年(七三〇)神戸の租稲九〇束のうち四束を祭神料に充てられ(「大倭国正税帳」正倉院文書)、天安三年(八五九)一月二七日、従五位下により 従五位上に昇叙した(三代実録)。また大同元年(八〇六)に大和国に神封一戸を充てられた畝尾神は(新抄格勅符抄)、当社のことか畝尾都多本神社のことか明らかでない。なお「日本書紀」神武天皇即位全紀戌年九月条に埴土を取ったと記す「天香山社」は、同じく十市郡の式内社天香山坐櫛真命神社のことではなく、当社をさすとする説がある(大和志料)。
神社と天香久山の間に赤埴山という小丘があり、埴安伝承地の石碑が建つ。「磯城郡誌」は「赤埴山。香久山の西北に接続し、全山赤色粘土なれば赤焼き土器に適するならん。土人これを赤せん山と称し、香久山の中央西側は白色粘土なるを以て、土人これを白こと称せり」と伝える。
『大和・紀伊 寺院神社辞典』より引用
アクセス
634-0029
奈良県橿原市下八釣町136
電車: 近鉄大阪線耳成駅から南へ徒歩20分