天香山埴焼奉製会
天香久山(あまのかぐやま)は古事記、日本書紀、万葉集などに多く登場し、大和朝廷発祥の大変古い時代、大和の国に都が置かれていた昔から現代に至るまで、聖なる山として大切にされて来ました。天香久山は古典では「天香山」と記します。天照大神の天岩戸隠れの神話や、初代神武天皇が大和朝廷を橿原の地に開く際に、天香久山の土である「埴(はに)」で焼物を作ったことが知られています。
神武天皇は九州の日向から、橿原の地に朝廷を開くために東へ向かい、吉野に入ったところで「天香山の埴を取り、焼き物を作って、八百万の神をお祀りすれば、自ずと道が開かれる」と夢の中でお告げを受けました。これを実行しようと天香久山へ向かいましたが、山の周りには多くの敵がいたので、部下二人を、おじいさんとおばあさんに姿を変えて入山させるという、わが国最初の仮装ともいうべき事が行われました。
その結果、無事に埴を採取して焼き物を作り、八百万の神々を祀り、大和朝廷を開くことができたのです。
天香久山はもともと天上界にあったものが地上に降って来たと伝承され、天香久山にかかる枕言葉は「天降(あも)りつく」となっており、住古の昔より天香久山は天上界に大変近い新聖なる山であり、国そのものを表す物実(ものしろ)として認識されています。
「白埴御神地」がある南浦町の天香山神社は、卜占(うらない)の神を祀り天香久山北麓に鎮座しており、「赤埴御神地」がある下八釣町の畝尾坐健土安(うねおにますたけはにやす)神社は埴の神を祀り、赤埴山の麓に鎮座していますが、両神社では令和元年より、神武天皇の埴採りの神話にもとづき神事を行い「天香山埴焼奉製会(あまのかぐやまはにやきほうせいかい)」を開催する運びとなりました。この機会に土器作陶を通し、太古から続く神話の世界を体感頂ければ幸いです。