令和六年 天香山埴焼神事

 天香久山(あまのかぐやま)は古事記、日本書紀、万葉集などに多く採り上げられ、大和朝廷発祥の大変古い時代、大和の国に都が置かれていた昔から現代に至るまで、天から降ってきた聖山として護持されて参りました。古い書物では天香久山を「天香山(あまのかぐやま)」と記します。天照大神の天岩戸隠れの神話や、初代神武天皇が大和朝廷を橿原の地に開く際に、天香久山の土である「 埴(はに )」で祭器を造り神事が行われたことが知られています。
 神武天皇は九州の日向から、橿原の地に朝廷を開くために東へ向かい、吉野に入った所で「天香山の埴を採り祭器を造り八百万の神をお祀まつりすれば、おのずと道が開かれる」と夢の中でお告げを受けました。これを実行されるため天香久山へ向かいましたが、山の周りには多くの敵がいたので、部下二人(シイネツヒコ・オトウカシ)を、翁(おきな)と媼(おうな)の姿に変えて入山させるという、わが国最初の仮装ともいうべき事が行われました。その結果、無事に埴を採取して祭器が造られ、これを用いて八百万の神々を祀り、のちに大和朝廷が開かれました。
 天香久山はもともと天上界にあったものが地上に天降(あまくだ)って来たと伝承され(阿波国・伊予国風土記)、天香久山にかかる枕言葉は「天降(あも)りつく」であり、往古の昔より天香久山は天上界の一部が地上に現れた神聖なる山すなわち、ヤマトの国そのものを表す物実(ものしろ)として認識されて参りました。
 卜占(うらない)の神を祀る南浦の天香山神社は、天香久山北麓の白埴御神地近くに鎮座しており、その尾根続きの赤埴山の頂に赤埴御神地があり、その麓辺の下八釣に埴の神を祀る畝尾坐健土安(うねおにますたけはにやす)神社が鎮座しております。
 昭和十四年に両神社では、昭和十五年の橿原神宮紀元二千六百年奉祝紀元節大祭に使用される祭器を天香山斎土を以って奉製、これを奉納するため前年の昭和十四年、旧香久山村を挙げて、神武天皇の埴採(はにと)りの神話にもとづき神事、焼成行事が行われました。令和元年よりこれに倣(なら)い「天香山埴焼奉製会(あまのかぐやまはにやきほうせいかい)」として別紙の通りに神事を毎年斎行、祭器を奉製致しまして、橿原神宮へ祭器を毎年ご奉納申し上げております。
 この機会に各神事を通しまして、太古から続く神話の世界をご体感いただきたく存じます。尚、昨年まで作陶会も併せて行っておりましたが、本年度からは橿原神宮への御奉納の祭器焼成のみとなりますことをお知らせ致します。

令和六年 神事日程

  • 「 トぼく定じょう神事 」天香山埴焼神事について占う神事
    4月1日(月) 午前10時斎行 天香山神社
  • 「 埴採はにとり神事 」「白埴御神地」・「赤埴御神地」より埴を採る神事
    5月1日(水)
     月次祭並びに埴採神事 午前10時斎行 天香山神社
      天香山神社祭典後「白埴御神地」へ参進 白埴採取
      白埴採取後「赤埴御神地」へ参進 赤埴採取
      赤埴採取後 畝尾坐健土安神社へ参進、神社到着後
     埴奉納神事 午前11時半頃斎行 畝尾坐健土安神社
  • 「祭器焼成神事」野焼窯点火、祭器焼成並びに焼成された祭器を神前に献上
    11月2日(土)
    祭器火入神事 野焼き窯へ点火 午前10時斎行 畝尾坐健土安神社
    祭器清祓神事 焼成された祭器を神前に献納 同日夕刻 同神社

※神社、斎場には駐車場がありませんので、徒歩、自転車、公共交通機関をご利用の上でお越しください。最寄り駅:近鉄耳成駅、又はJR香久山駅から徒歩約20分。

※気象条件により祭器焼成神事が順延又は延期になる場合があります。